HOMEMorrisのつぶやき
映画好きの人全員集合!アマチュア映画評論家・Morrisさんの登場です。
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 「多様性」を描いた映画たちへのツブヤキ。(その5) MorrisMMXX  2020年11月1日(日) 21:23
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「多様性」を描いた映画たちへのツブヤキ。(その5)


ここからはオマケ追伸です(^-^)。

「多様性」から少し距離がある様にも感じられます作品?と思われるかもですが、実はそんなこと無いなぁ〜と思う5作品と+αなコトを最後に簡単に紹介します。

5作品は、
世間の価値とは違うが人は生きている。と言うことが感じとれる作品たちです。

「ビリーブ 未来への大逆転」(2018)、「RBG 最強の85才」(2018)。
「友川カズキ どこへ出しても恥ずかしい人」(2019)、「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(2017)。
「タレンタイム〜優しい歌」(2009)。


最初の2作品、
「ビリーブ 未来への大逆転」(2018)、「RBG 最強の85才」(2018)です。
この作品は、2020年米国の大統領選挙で話題になりました米国連邦最高裁所判事指名と関係があります。

2020年9月18日に亡くなれましたルース・ベイダー・ギンズバーグ判事の映画です。RBGは名前の頭文字です。
ギンズバーグ判事は歴代二人目の女性判事で25年以上を勤めあげましたリベラル派判事です。

ブルックリンの中流家庭(ユダヤ系)に産まれ、コーネル大学からハーバード法科大学院へ夫とともに進み夫の法律事務所(NY)への就職にあわせてコロンビア大学法科大学院へ移ろうとしますが成績優秀者の移籍をハーバード大が面子から許さずもめます。
結果的には移れるのですが、この因縁がのちのちに現れてきます。このあたりは「ビリーブ〜」に描かれています。

ギンズバーグはハーバード大学法科大学院1年の時には結婚して育児をしながら旦那さんと協力して学生生活をおくります。1950年代の法科大学院の学生、男子500人に対して女性は9人。卒業したとしても法律事務所からは就職の拒否にあうというような、当時の法曹界は男性優位でした。

コロンビア大学法科大学院を卒業しましたが就職口は法律事務所にはなく、地方大学の教職を勤めながら全米市民自由連合(ACLU)でも活動します。

女性権利向上、人種の多様性、マイノリティの権利向上に傾注します。なかでも、女性の権利向上を求める訴訟で手腕を発揮しました。
この訴訟は当時、親の介護費は男性には支給されないと言う連邦法に対するものでした。介護費は家庭に居ることが前提の女性にしか支給されないものでした。介護費が支給されない男性を弁護し国を相手にした訴訟でした。

連邦政府と法的に争うわけです。政府は1950年代当時の国防省にあった最新鋭コンピューターを使い全ての連邦法を洗い出し対決を挑んできます。
ギンズバーグ側には無論、当時はパソコンなどはなくあるのはタイプライターだけです。智恵と勇気で立ち向かいます。この辺りまでのことが描かれていますのが「ビリーブ〜」です。
「RBG 最強の85才」は85才当時のギンズバーグを中心にしたドキュメンタリーです。

2作品を通してギンズバーグ氏の「レディーであること、自立した人であること」と言うことの意思?意志?が強く伝わってきます。そして、アメリカの民主主義において司法が担う役割の重要性もわかります。


次の2作品は、
「友川カズキ どこへ出しても恥ずかしい人」(2019)、「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(2017)になります。

この作品たちは内容を説明しますのが、なかなかに難しいものなので周辺情報だけでとどめますね。
どちらの作品も、世間の価値とは違うが生きている。と言うことを強く感じます作品です。


それで
「友川カズキ どこへ出しても恥ずかしい人」ですが、
友川カズキさんをご存知でしょうか?フォーク歌手で画家をされています。映画にも俳優として出演されています。

秋田から出てきまして岡林信康の「山谷ブルース」を聴いて歌手を目指します。作詞作曲、そして自らも弾き語りをしています。
ちあきなおみさんの「夜を急ぐ人」をご存知?でしょうか。友川カズキさん作詞作曲です。
1970年代後半のNHK紅白歌合戦で「夜を急ぐ人」をちあきなおみさんが歌いました。私には強烈な印象として残っています。

「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)のヨノイ大尉役の最初のオファーは友川カズキさんでした。大島渚監督からの直接オファーでしたが、ご本人は秋田弁しか喋れませんと辞退されたそうです。その後、ヨノイ大尉は坂本龍一さんになるんですね。

友川カズキさん、不思議な人なんです。まさに世間の価値とは違うが人は生きている。と言うことを感じとることが出来る作品と思いました。


そして、
「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(2017)

最果タヒさんの詩集が原作となっています。最果タヒさんの詩、不思議ですよね〜(^-^)。
最果タヒさんは2000年代のあたりから活動を始められた女性の詩人です。

紙面(紙)を作品発表や発言や様々な表現の主戦場とする世界が幾つかありました。
本(書籍、雑誌)新聞、広告、チラシ、ビラ、ポスターなどなどが主戦場で、筆記具と紙からタイプライターそしてワープロまでは紙の延長。コンピューターとパソコンまではギリギリに紙の延長。

インターネット、ケイタイ電話、スマホの登場と普及、定着をむかえてからは紙を主戦場としていた世界の様々なモノたちが電子の世界へと雪崩れ込んできました。ソーシャルメディアの世界です。そのような流れの中での詩人のひとりが最果タヒさんです。

その詩は一見、脈絡とかを気にしていない感じにドンドンドンと書かれている言葉たちがあり、日記の中のツブヤキのようにも私は感じます。テーマがあるようでないようで、でもあるような世界。読むとなんだか自分自身の内側の何か?に引っかかる気持ちが生まれている。不思議です。

これは、詩の作り手と受け手の間に詩の言葉が在って、作り手と受け手の間を往き来して「何か」を届けていると言うことではないでしょうか。
その「何か」は意外に近く浅い見つかりにくい物陰にあるかもしれないし、とんでもなく深い淵の奥底にひっそり在るのかもしれません。
そんな世界観が最果タヒさんの詩からも感じます。その辺りを映画「夜空はいつでも最高密度の青色だ」の世界観の中にも感じられます。


そして、
マレーシアの映画になります。

「タレンタイム〜優しい歌」(2009)。
今は亡きヤスミン・アハマド監督の遺作です。マレーシアを代表します女性監督です。
母方の祖母が日本人、日本とは浅からぬ縁があります。


マレーシアのある高校で定期的に催され校内音楽コンクール「タレンタイム」、その校内オーディションで合格した生徒たちが集い、そして「タレンタイム」最終選考に挑むまでの物語。それが何人かの男女生徒を通して描かれています。

ひとりの男子生徒は唯一の家族である母が末期がんで入院しています。病院へ毎日見舞います。
この男子高校生が見舞いから帰った後に母親の病室に毎度現れる車椅子の男性、不思議な存在です。映画を観た時にこの車椅子の男性、あなたはどの様な存在と感じますか?楽しみですね。

映画のストーリーには、女子生徒と聾唖の男子生徒の物語も出てきますがここではコメントをしません。こちらは作品を観てのお楽しみと言うことで。(^-^)。

作品中の音楽コンクールで歌唱演奏される歌が「IGo」と「Angel」です。しっとりと染み入る歌唱と演奏です。

マレーシアと言う国が多民族国家であること、それは言語、宗教、民族、地理的なこと、そして英国領だったと言う歴史が背景となり織り成される様々なこと。

宗教はイスラム教、ヒンズー教、仏教など。言語はマレー語、タミール語、英語、中国語(広東、北京)など、そして劇中では手話も登場します。民族はマレー系、華人系、インド系など、特にマレー系には多くの諸民族がいて文化、風習、宗教を生かして生きつづけています。

このような多民族な国がマレーシアです。それを「タレンタイム〜優しい歌」を観て感じ取ることが出来ます。同監督の「細い目」もあわせて観ると面白いと思います。


マレーシアには祝日でマレーシアデイと言うのがあります。
これはマレーシアの建国記念日(9月16日)になります。

日本は第二次世界大戦(大東亜戦争)の時に東南アジアへ進行はしましたが当時の植民地占領政府の軍隊と基地とは戦ったが、今の東南アジアの国々とは直接は戦ってはいないんです。

日本が戦った相手は旧宗主国なんです。
アメリカ領(フィリピン)ではアメリカ軍、フランス領(ベトナム、カンボジア、ラオス)ではフランス軍、オランダ領(インドネシア)ではオランダ軍、イギリス領(マレーシア、ブルネイ、インドなど)ではイギリス軍と戦ったと言うことです。
第二次世界大戦(大東亜戦争)後に東南アジア各国は旧宗主国から、それぞれに独立をはたします。

そのようなこともあるからか、
マレーシアのマレーシアデイでは独立と建国を祝うことが主で、第二次世界大戦(大東亜戦争)での日本へのことさらな非難があるようなことは特に無い感じだそうです。現地在住の日本人の方々からは、そのようにお聞きしたことがあります。

東南アジアの国には親日が多い様に感じるのも、このあたりの関係があるのかもしれません。一方でイギリス以外の東南アジアの欧州旧宗主国からは風当たりが強い時期がありましたようです。特にオランダとか。

マレーシアデイの前後には小学校ではいつもの制服の登校ではなく、生徒がそれぞれ民族衣装や自身の祖国やルーツの国の衣装で登校し家からは様々な文化を素地にしました家庭の味わいの食事を持ちより皆で食べる日があるそうです。


ここからは、+αなコト2点ほどを追加します。

1つ目は、
2020年秋公開の邦画「ミッドナイトスワン」です。性差と多様性を扱っています作品です。
私はまだ観ていませんのでコメントができませんが観てみたいと思っています。

2つ目は、
東京大衆歌謡楽団と言うバンドについてです。
またいつか詳しくツブヤイてみたいと思っています。ちょっとイントロだけ〜。

結成から15年くらいでしょうか?昭和の終わりから平成の頃生まれの四人兄弟(唄、アコーディオン、ウッドベース、バンジョー)の楽団(バンド)です。
主に昭和初期〜昭和30年代までの大衆歌謡が奏でる中心で大衆歌謡は演歌とは違うジャンルなんだと聴いて感じました。
街頭演奏(ライブ)が活動の中心で今は街頭演奏とコンサートの二本立てのようです。

現代の音楽を否定するわけではなく、昭和初期〜昭和30年代の大衆歌謡を聴いてみると、その中の明治大正と西洋音楽を消化してきた一つのカタチのようなモノが在るように思えること、そして何よりも
きれいな日本語を譜面の通りに歌っている。でも歌い手の「歌」は個性豊かに聴こえます。

キリシマノボル、フジヤマイチロウ、ワタナベハマコ、カスガイチロウ、ミハシミチヤ、イザワハチロウ、オカハチロオ、フジワラヨシエ、ヨツヤフミコ、などなど、個性や多様性は外見や外側や表面の形や色だけでなく内面や内側にある「何か」からの形や色に成ると思えるのです。

古典や基礎のうえに築かれる豊かなカタチがある。

これは最新の科学や工学は一見華々しく突然に現れたように見えたりしますが、それは必ず基礎科学や基礎的な学問や基礎的な技術や様式のうえに成り立っていると言うことにも似ています。



今回のツブヤキは、あちこちに飛びオマケと+αで長くなってしまいました。

「性」を通して「多様性」についてツブヤいてみようと思ったのですが少し纏まりがなくなってしまいました。すみません。

それでも、映画や芸術の持つ裾野の広さや許容の深さのような「力」を私はツブヤキながら感じ直しました。
映画は映像と言うことから、色々な国で様々な人から作られますが、感情移入がしやすく作品を観ることから自分とは違う背景のある人に対する共感をし思いやりも促すとことが出来ると思いした。

お付き合い頂きまして、ありがとうございました。

それではまた〜(^-^)。

「多様性」を描いた映画たちへのツブヤキ、は以上です。



 「多様性」を描いた映画たちへのツブヤキ。(その4)  MorrisMMXX  2020年11月1日(日) 21:21
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「多様性」を描いた映画たちへのツブヤキ。(その4)


このあとに私が観た映画作品で印象に残っている参考作品一覧があります。
その後に今回はオマケ追伸があり、長くなっています〜(^-^)。

それでは私が観たなかで気になり記憶に残っている性の「多様性」を扱いました作品たちです。
少し変化球的な作品もあります。

誰かを強く思うこと尊敬することなど人を愛すること人を恋することは、その対象が異性でも同性でも大切なことで、同じくらいに自分を好きになることは自分を受け入れ大事にすると言うことがわかる「映画」たちです。順不同です。

ご興味がある作品がありましたら是非!


「わたしロランス」(2012)、「モーリス」(1987)、「フィラデルフィア」(1993)、
「彼女の彼は、彼女」(1990)、「彼が愛したケーキ職人」(2017)、
「リリのすべて」(2015)、「Girl」(2018)、「ナチュラルウーマン」(2017)、
「ある少年の告白」(2018)、「彼の見つめる先に」(2017)、「君の名前で僕を呼んで」(2017)、
「チョコレートドーナツ」(2017)、「ダラスバイヤーズクラブ」(2013)、「BPMビート・パー・ミニット」(2017)、
「ゴッズ・オウン・カントリー」(2017)、「J・エドガー」(2011)、「グリーンブック」(2018)、
「ムーンライト」(2016)、「ストーン・ウォール」(2015)、「オルランド」(1993)、「アルバート氏の人生」(2011)。

「キャロル」(2015)、「アデル、ブルーは熱色」(2013)、「ハンズ・オブ・ラブ 手のひらの勇気」(2015)、
「アバウト レイ 16歳」(2015)、「21センチュリーウーマン」(2017)、「アンダー・ハー・マウス」(2016)。

「オール・アバウト・マイ・マザー」(1999)、「ジュリエッタ」(2016)、「トーク・トウ・ハート」(2002)。



ここからは内容的に少し変化球的な作品かも〜です。(笑)

「マーウェン」(2018)、「ドント・ウォーリー」(2019)、「37セカンズ」(2020)、「セッションズ」(2012)、「ダイ・ビューティフル」(2016)。


「ワンダー君は太陽」(2018)
※遺伝子の欠損で幼少期に20回以上の手術を顔にした少年が主人公で小学校高学年から初めて学校に通う物語。

少年と友人、家族、姉、姉の友人の物語がオムニバス形式になっています。

小学校という子供たちの大切な世界で起きる異質なモノへの反応、それは負の感情だったり時には過度な反応だったりもします。
子供たちには好奇心や関心から発して衝突したり、その受け取り方のズレから事件になったりもします。そこを補い理解しようとして成長していく力を発揮するのも子供なのだとわかります。
すべての大人は以前は子供だったわけで、大人にもそのような復元力があるはずと思わせてくれる作品のように思います。


「シェイプ・オブ・ウォーター」(2017)、「モードルイス 幸せの絵の具 愛を描く人」(2016)。
※この2作品は同じ主演女優さんです。ここに注目して観てみても面白いです。
「シェイプ・オブ・ウォーター」はファンタジーやモンスター物(謎の生物モノ)と捉えるだけでなく題名にある水の形とは?そもそも形の無い水、見た目の意味とはどれほど意味を持つものなかとも言っているようです。

作品と映像の中に秘められ語られている物語の本質は何?かしらと耳を傾け目を凝らして探してみてはどうでしょうか。
映像の色味や色調、作品の中に出てきます象徴的な色にも注目してください。「シェイプ・オブ・ウォーター」では特徴的に青みがかった緑をした色味、これはティールグリーンかティールブルーです。この色が沢山のところで使われています。そして後半に向けて増えてくる「ある色」があり、この「ある色」がどこにどの様に使われているかも観てみてください。

そして「モードルイス 幸せの絵の具 愛を描く人」については説明と紹介は観てのお楽しみと言うことでここで、どの様な色が使われどの様な変化をしていくのかも、ちょっとだけ気にしながら観てみると面白いと思いますことだけ書きますね。


「タンジェリン」(2015)、「フロリダプロジェクト 真夏の魔法」(2017)。
※この2作品は性差だけでなく、社会的な多様性も描いています。タンジェリンとフロリダと言う言葉が表す色合いが映像を通してストーリーとあわせて伝わってきます。観終えたあとに何を感じますか?楽しみですね。2作品とも同じ監督です。


「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」(2013)。
※地球にいる異性人が人類から集めているものとは?何か!
ここでは捕食をあえて「集めている」と表現しました。私には
映像から捕食と言うよりも「集めている」と感じられたから。

そして集め続けていくなかで異性人が「何か」を感じます。その「何か」とは?を考えはじめていくなかでの変化。
その「何か」に近づきたい、地球人に近づきたい、地球人に成ろうとするが……。

異性人が感じ取った「何か」とはなんなのか?映画を観た人はどの様に感じ?思う?のでしょうか。


「第9地区」(2010)、「エリジウム」(2013)、「チャッピー」(2015)。
※この3作品は南アフリカの監督の作品です。南アフリカが舞台、もしくは南アフリカをイメージしたと思えるSF作品。

人、人間、人類以外の対象を作品に登場させ、そこから多様性に対する投げかけがされます。
「第9地区」では宇宙難民の異性人と人類、「エリジウム」では地球軌道上の人工空間で生活する特権的な人間と地上(地球上)で奴隷のような生活をする人間、「チャッピー」では人と人工知能(AI)搭載の人型ロボット。

何故?南アフリカの監督が南アフリカをイメージするような設定の世界観を映像化したのでしょうか。観る人の想像力を試されるかも〜(^_^;)。


△△その5へ、つづく〜。



  「多様性」を描いた映画たちへのツブヤキ。(その3) MorrisMMXX  2020年11月1日(日) 21:19
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「多様性」を描いた映画たちへのツブヤキ。(その3)

ヒトの性差には生物学的な発生と形態など以外に「心(こころ)」の性など性自認と言うことが色濃くあると思っています。

映画の題材として性自認が織り込まれて描かれている作品も多数あります。今回も巻末に私が観ました映画の中から記憶に残りました作品を幾つか列挙してみます。

その中からひとつを紹介します。

「わたしはロランス」(2012)。
高校国語教師の男性(ロランス)とその恋人(女性)が主人公、ふたりの関係はとても魅力的です。
ある日、ロランスが恋人に告白をします「僕は女になりたい。僕のこの身体は間違って生まれてきた。女性として生きたい。」。

女性になりたい男性とその恋人(女性)の愛を描いたストーリーです。幻想や渇望が現れ消え、また現れるような中での痛烈な愛。これを描こうとして考えに考えて描いた知性、そして「゛わたし゛がわたしらしく生きる」と言うことが描かれています。

映像も美しく、部屋の壁紙、インテリア、ファッション、髪型、音楽などなど印象的な作品です。

映画の中でのある場面、
冬の町を雪が飾ります白い世界にある建物が持つやわらかい色味がチラッチラッと微妙に小さく見えます。
その白い世界の中を歩く主人公のふたり、そして空から降ってくる色とりどりの花弁(花びら)?と見えるモノたち。
それは織物、布、様々な彩りの沢山の服、雪のやわらかな白を背景に彩り豊で美しい、スローモーションになるのも印象深いです。

このシーンを見て、ある植物の先生の言葉を思い出しました。
日常で私たちが目にしている植物の世界や花屋さんの店先にあります花たち、
ひとことに植物の「花」と言っても、「花」の色と形を見ると白や黄色の花は上を向いて水平方向に開いて花の中(内側)を見せる様に咲いているモノが多い。また、紫色の花は立体的で複雑で下を向いていたり横を向いて咲いたりします。

花びらや花の形は植物の生きる戦略で昆虫の口の形や翔び方にあわせているんです。「花」の形や色、香り、咲き方、咲く時期や時間などには意味があります。植物や花それぞれがヒトで言えば性格や人格の様にも感じてしまいますね。
なぜ?そのような形、表現、行動なのか、その理由に想いをはせる想像をしてみると言うことから解る(理解)出来ますことがあります。科学で言います観察やフィールドワークが大切なのはこのあたりのこともありますように思います。
このような内容だったような気がします。

「わたしはロランス」を観て、
その内容と美しい映像から、
想いをはせいろいろと想像してみることから解る、理解出来てくることがあると思いました。

「わたしはロランス」以外にも言葉をつらねて紹介したい作品はあるのですが、それはまたの機会にしますね。(笑)


性差と言う題材から多様性を描いた映画作品から、今回は「多様性」と言うことについてツブヤいてみました。

私が「映画」などを通しまして感じた「多様性」の本質?のようなものとは、
ひとつの考え方ではありますが意見や意思や精神や文化のあり方の理解でもあり、自分とは異なる他者を受け入れ、より別なモノ(別種)を取り入れ融合していく受容していく感じなのかもしれないと思いました。

想像をしてみるためには、
自分の眼で見るのと同じくらい他人の眼で見る(想像してみる)と言うことで気づくことがあり、結果としつ自分の見方もより明確になるように思います。

私にも(誰にも)無自覚な差別はあるように思います。本人の気づかない先入観や偏見や思いこみ、それはセクシャリティーだけでなく人種、民族、宗教、高齢者、障害を持つ方、社会的少数者(弱い立場)など、気づきづらくあちこちに散らばっているように思います。

当事者の声から見えてくるコトやモノがあります。
頭でわかっていても実感としてわかるか?と問われますと難しいと思うことがあります。そののような時に立場を私自身に置き換えて考えてみること、感じてみると言う「想像力(想像する力)」の大切さを感じます。

弱い立場でいたい人はいないと思います。


細胞から見ると私たちひとりひとりは細胞や遺伝子、そこから発現する様々な形質や形態は個性豊で彩り豊です。その先にある個人と言う存在。その「彩り」を想像してみることの大切さがわかります。


△△その4へ、つづく〜。

  「多様性」を描いた映画たちへのツブヤキ。(その2) MorrisMMXX  2020年11月1日(日) 21:17
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「多様性」を描いた映画たちへのツブヤキ。(その2)

ここで少し脱線します。
私が学校で受けました色々な科目の授業をいくつかふりかえってみて「性」につながり関わる印象的なことを小学校、中学校、高校と記憶をなぞってみます。

小学校高学年理科での人体の構造と仕組み、ニワトリの卵を孵卵器で孵化させる実験に驚き。

中学校理科で私達の身体は細胞と言うモノで出来ているんだと言うこと、技術・家庭科の園芸実習での挿し木の不思議に触れ植物と動物の細胞の違いに、また驚き。

高校生物の授業で細胞の栄養摂取、分裂、修復、再生を知り、生殖細胞が減数分裂を起こし生殖・受精→分裂→2細胞からドンドンと進み桑実胚、そして植物極と動物極が調い原口が出来て陥入がはじまり、私達の身体の部分の原始が作られて脊椎動物になると言う仕組みに心底驚きました。

それはヒトも同じだと言うことシュペーマンの予定胚域図というのがあって、その後に身体のどの様な組織や器官に成るのか胚の発生過程で誘導され決まっていくと言うことに純粋にびっくりし驚いたのを今でも覚えています。

受精から発生の過程を通して、生き物としての共通で大切な形質が引き継がれ発現し、その一方で個々の特徴的な形質も発現します。その仕組みや過程は緻密で精緻でもあると同時に簡素で大胆な構造が支えているとも感じました。

今でしたらゲノムと言う言葉も出てくるのでしょうが当時は染色体、遺伝子、DNAと言うところに生物の設計図が在ると授業で聞いてこれまた驚きました。

生物の元々のベースを作っているものは物質です。そしてその設計図は塩基の組合せだと聞き驚きました。
DNAと遺伝情報、その発現を決めるものは細胞だったり、ホルモンや酵素だったりします。種によっての特徴や個体差(個人差)があり、そこに外的な環境因子なども加わり、いろいろなことから決まります。性差を決める反応も起こりますし神経系回路も配線され行動が生じていきます。


そして哺乳類や人の性差(雄雌、男女)の違いが性染色体にあり性染色体の組み合わせペアによって決まる。
性染色体がXXですと雌(女性)、性染色体がXYですと雄(男性)になると知りました。性差はここの違いが出発点なんだ!と驚きました。
実際は性染色体の遺伝子がさらに作るタンパク質などとの関係もあり複雑で生物の「性」もそのような先にあると言うことになります。


私は小学校、中学校、高校と共学でしたが男の子、男子と相互に重要なその一方である女の子、女子への認識が当時あらためられました。肯定的な良い意味合いでお互いに違うんだと思いました。


△△その3へ、つづく〜。



 「多様性」を描いた映画たちへのツブヤキ。(その1) MorrisMMXX  2020年11月1日(日) 21:12
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「多様性」を描いた映画たちへのツブヤキ。(その1)


「多様性」、この言葉には使う場面とその対象となる事柄が数多くありますね。
人で言うところの性差(男女)、年齢、人種、民族、国籍、宗教、言語、文化、生物学で言う種、社会的な立場からくる強者弱者などなどと、まさに多様です。

この言葉は、使う側、それを聞く側や受け取る側の人が持つ背景によっても違いがあると思います。そして繊細な面をともなっています。
ここで私がツブヤキますことは私が感じ思いましたことになります。私のツブヤキで気持ちを害することがありましたら、申し訳ありません。


先ず、人間は人の中で生きています。社会ですね。
沢山の多様性、様々な多様性が人の生きている社会の中やそれを取り巻く環境には存在していると思います。

そういった中、映画では性の多様性とその周辺に関係したことを題材として多様性を描いている作品も少なくありません。


以前、アルゼンチンを感じる映画たちについてのツブヤキの際に「蜘蛛女のキス」を私の好きな作品として紹介しました。

「蜘蛛女のキス」は、
刑務所の二人部屋の収監房に収容されている政治犯とゲイの囚人、この二人のやり取りを中心に描かれています。

そこから生まれ映画の中で徐々に描かれる幾つもの感情とその変化、何を愛するのか?何故愛するのか?愛するために何をすてるのか?ゲイの囚人を演じたウィリアム・ハートからは性差と言うよりも人間の持つ普遍的な何かを感じることができました。


この数年、目にも耳にもすることが多くなりました「LGBT」と言う言葉があります。
私の学生の頃には言葉として影も形も無かったように思います。

私の記憶の中、学校での性に対する教育(性教育)と言うものが小学校や中学校ではどの様にあったのだろうか?実は記憶があまり無いです。
記憶が無いだけなのか?それとも授業当日に私が病欠?などで受けていないだけなのか?明確に記憶を手繰れません。

高校生の時、授業で保健体育の教科書に申し訳程度に性教育らしい記述が出てきたような気もします。それも今思えば内容的には性教育とも違うように思えます。


LGBTとは、4つの頭文字です。
L:レズビアン、G:ゲイ、B:バイセクシャル、T:トランスジェンダー(性的越境者)の頭文字になります。
性的少数者と言います意味合いになります。
LGBTの次に「Q(クエッション)」もしくは「Q+」をつけて表現する場合もあります。


「性」(セクシャリティー)の意味は?と考えた時に
(1)産まれた時の生物学的な性別。
(2)自分が感じる性(性的自認)。
(3)指向(性的指向、恋愛感情の向く方向)。
(4)表現(性表現、服装や言葉使いなど)。
と云われています。


最近では「SOGI」(ソジ)もしくは「SOGIE」(ソジー、ソギ)と言う性自認の概念を表す言葉も耳にします。

SOGIとは、4つの頭文字です。
S:セクシャル(性)、O:オリエンテーション(方向)、G:ジェンダー(性別、生物学的性別)、I:アイデンティティ(自我)の頭文字になります。
SOGIEのEはエクスプレッション(表現、性表現)です。

先頭のSOで性的指向を意味し、後のGI(E)で性認識を表すそうです。

「性」には、どうも「身体(からだ)」の性と「心(こころ)」の性があると言うことのように私は理解しました。
これはセクシャルマイノリティを示すのではなく、広く人間全体を範囲としていると思います。


先ほど出てきました学校現場での「性」教育ですが、私の古い古い記憶での性教育の授業とは身体(からだ)とセックス(性交渉)に関わることが殆どで、心(こころ)の「性」と言うものはなかったように感じます。

現在の学校現場はどうなのだろう?どの様に教えているのだろうか、身体の「性」、心の「性」、そして性行動も含めきっと学校現場の先生方は苦慮されているのではないだろうかと思います。「性」は人間の存在や根源へもつながることだから。


△△その2へ、つづく〜。

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